これは、誰よりも自分を律する基盤を見失っていた私が、南相馬の地で生きる歩調を整えていくまでの顛末です。ご参考になれば幸いです。
中学3年の春まで、人と関わることから逃げ続けた。
高校でも馴染むことができず、通信制へ転入。大学も一年足らずで行かなくなった。親の会社に入っても、三年で退職した。どこへ行っても、自分の居場所を見つけることができなかった。
上京した先で、今の妻と出会った。反発し暴れる私の心に、彼女は真っ直ぐに向き合ってくれた。衝突を重ねる中で、少しずつ、心の殻に亀裂が入っていくのを感じた。
そうして妻の愛情により自信をつけた私は、故郷である南相馬に戻る決意をした。
この家族を守るためなら、どんなことでも耐えられると信じて。
家業に出戻らせてもらった私は、必死に働いた。だがそこは、努力が報われず、否定され、自分を見失ってしまう環境だった。
だんだんと心が蝕まれ、負の感情を妻にもぶつけてしまい、家庭内にも不穏な空気が漂っていた。
そんな折、妻と大喧嘩をした後。自分なんていなくなったほうがいい。楽になりたい。そうすることが最善であるかのように、自ら命を絶とうとした。
自分の周りで起こることは、全て自分のせいである。これは半ば正しい。起こってしまったことそのものには干渉できない以上、それを自分がどう受け止めるかが問題であるからだ。当たり前だが、自分の人生の責任は自分にある。
これまでの私は、他人の人生の責任まで背負い込んでしまっていた。それは自分にとっても、相手にとっても、悪い影響を与えてしまう。
そこで私は、自他の境界線を見つめ直し(至誠)、身体を鍛え(勤労)、食生活を整え(分度)、地域活動に励んだ(推譲)。
知識ではなく感覚として辿り着いた報徳の四柱が、私の内なる獣を調律してくれた。
地域活動をしていると、地域の歴史に触れる機会も増える。
故郷である南相馬が、長く、深く、二宮尊徳の報徳の精神を受け継いできた土地であると知った時、私のこれまでの人生に一本の芯が通った。
私自身、今も道半ばにいる。しかし、こんな私でも、日々報徳を心掛けることで、少しずつ、確実に、自分を律して生きられるようになっている。
だからこそ私は確信している。どんな過去があろうと、誰しも自律を身につけることができると。
報徳の教えは、どんな時代でも、環境でも、私たちを支えてくれる礎となる。
栗人は、報徳がいつかあなたの進路を照らす規律となる日まで、共に歩み続ける。
さぁ、その為大なる一歩目を踏み出そう。